先日、母と株式投資について話をしていた時に感じたことです。
私と母とは投資方針が全く異なります。母は複数の証券会社を使い、それぞれの担当者からおススメ銘柄等を聞いて購入しているようです。そして、基本的には値上がり益狙いということのようです。一方私は、以前から申し上げているように配当利回り狙いです。
母の場合、そのような買い方をするので、値上がりすると担当者の意見を聞いて売却し、売却資金で他の銘柄を購入しますが、値下がりしたものは回復を待ってそのまま保有し続けることが多いようです。その結果、現在のポートフォリオには一定数の含み損銘柄があります。中には1/3、1/4になっていて回復は見込めないと思われるものもあります。
話をしていた時、その銘柄について購入のいきさつや、心情を聞かされましたが、要するに「担当者の口車に乗って買った、値上がりした時に売っていれば良かったのに売りべきでないと言われそのままにした、後悔している、担当者はろくでもない」と言った話になります。また、儲かった銘柄についても、「売った後に更に上がった、タイミングを間違えて損した」といったことを言います。
私はそれを聞いてもフーンとしか思いません。なぜなら、私は配当狙いなので、一度購入したら、その銘柄は基本的に売却しない方針です。ですので、値上がりしようが、含み損になろうがあまり気にしません。ただし、一部銘柄を入れ替えたり、年末になれば損出しの為に売却購入手続きを取ることはありますが。ですので、銘柄によっては人が羨むほどの含み益があったりします。
ここで思ったのは、投資スタンスの違いというよりも、何を重要視して銘柄選定をするかです。母は、経理関係の経験がないので、業績数値を見るより株価動向や業界展望を参考にしながら担当者の意見を聞きつつ銘柄選定をするようです。一方私は、会社の発表している業績数値やPBR等の指標及び配当方針、中期経営計画などの取り組み内容を基に銘柄選定をします。ここには表題のような大きな違いがあるように感じます。
意見を基に判断すると、思い通りにいかなかった時に、他者の意見に振り回された、という後悔が生まれることが往々にしてあります。最後は自分が判断したのにです。しかし、事実を基に判断したなら、責められるのは最後に判断した自分のみ、自責にしかならないのです。
そもそも、私は人の意見を信用していません。特に証券会社の人の言うことなんか、自分たちが儲けるために客に買わせたい商品等を良く言っているだけとの先入観があります。ですので、そのようなことは聞くと時間を無駄にして害となるだけだと考えております。ま、更に言うと、自分の意見も信用していないわけですが。
私は、投資をするにあたっては、この「事実と意見」の認識をしっかりと持って情報収集や判断をするのが大切だと考えており、母との話でそれを思い出した次第です。