経理マンでもFIREしたい

〜とあるアラフィフ経理マンの早期退職を目指す日常〜

私の投資遍歴 2(第一の躓き)

2002年以降しばらくの期間は、毎月資産管理資料を作成していたようです。そこでは、収入や支出を細かく管理し、どのぐらい資産が増減した、どうすれば資産を増やせるのかを検証しており、今見ると、まるで仕事そのもののように取り組んでいたと感じます。それだけ必死だったのでしょう。確かに、このころの資産増加額は、30歳前後のシングルインカムにしてはかなり頑張っているレベルであるだろうと思います。

ただし、現在の私から見ると、投資手法には色々な粗が見えます。例えば、日本株は頻繁に売買を行い、含み損の銘柄は売却できないまま持ち続ける傾向があります。これは、当時は取得原価ベースで資産総額を管理していた為、総額を大きく見たい、マイナスの部分は見たくない、という心理が働いたようにも思いますが、これが後に遭う「第一の躓き」の原因の一つではないかと今となっては思います。

また、日本株銘柄選択の基準が「今までの株価水準と比べて低い状態にあるので、今後値上がりするであろう銘柄」という意識が強いように感じます。まだこのころは経理マンとしての知識経験が浅く、開示資料などの作成方法も知らないため、確認できる資料の要点もわからないまま、経理マンとしての意識だけが高く、人が気付けていないものを掘り当ててやろうという思いが強すぎた結果かと思います。

結果、保有銘柄は含み損ばかり、含み損合計は資産の10%を超えるという状態の末、ついに手を出してはいけない銘柄に手を出しました。

15~20年ほど前のことなので実名を記載しますが、日商岩井です。

日商岩井は当時、「利益は出している」ものの、財務基盤が極めて脆弱で、株価が停滞していました。私はそこに目をつけ、この一株利益水準なら、財務基盤が安定すれば株価も正常水準に戻り、大幅なキャピタルゲインを手にすることが出来るだろうと考え、他の銘柄を売却し、総資産の二分の一に迫る額を投入しました。しかし、結果は無残なことになりました。

小泉内閣における金融再生プログラムの中で、ゾンビ企業としてリストに挙げられ、ニチメンと合併して双日となった後、MSCBというとんでもない転換社債を発行、株数は最終的に10倍程度(だったと思います)に膨らみ、株価は購入時の三分の一以下になりました。つまり、この銘柄だけでそれまでコツコツと積み上げてきた資産の三分の一以上を失うことになったわけです。倒産しなかっただけましかもしれませんが、その間、私は何もできず、ただ毎日恐怖におびえているだけでした。結局、双日株はつい最近の2022年まで持ち続け、株価はある程度回復していたものの、数百万円の損失を確定させることでケリをつけました。

この件により、私は日本株から足を洗い、つい最近まで再び手を出すことはありませんでした。株式投資なんてギャンブルだ、と考えていたのはこの頃です。なお、この頃から資産管理資料の作成がなくなりました。

これが第一の躓きです。しかし、躓きはこれだけでは終わりませんでした。(つづく)